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神戸地方裁判所 平成元年(ワ)203号 判決

神戸市垂水区千鳥ケ丘一丁目一番二四号

原告

牛田満子

右訴訟代理人弁護士

古高健司

小西隆

東京都千代田区霞が関一丁目一番一号

被告

右代表者法務大臣

田原隆

右指定代理人

杉浦三智夫

中村悟

柳原孟

徳岡襄

安立孝和

山崎龍夫

永濱雅幸

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求の趣旨

被告は、原告に対し、三二三万五四〇〇円及びこれに対する平成元年二月三日から支払済まで年七・三パーセントの割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、原告が納付した所得税について、原告は確定申告をしておらず、未だ税額が確定していないにもかかわらず、原告名義の不動産の公売を免れるために納付した誤納金であると主張して、その返還を求めた事案である。

一  確定申告書の提出及び国税の納付等

1  昭和五五年六月一三日、原告名義の昭和五三年分及び昭和五四年分の所得税確定申告書(以下、併せて「本件申告書」という。)が兵庫税務署長に提出された(以下「本件申告書」という。)。(乙第一ないし第三号証)

2  原告は、昭和六〇年一一月一八日、昭和五三年度申告所得税二五万一五〇〇円、同加算税一万二五〇〇円、昭和五四年度申告所得税一一三万八一〇〇円、同加算税五万六九〇〇円がそれぞれ未納であるとして、須磨税務署長から、原告所有の神戸市垂水区千鳥が丘一丁目二二五一番一三の土地(宅地一七八・六九平方メートル)及び同地上の建物(家屋番号二二五一番の一三、木造瓦葺二階建居宅、一階五六・五一平方メートル、二階四八・〇二平方メートル。以下、右土地及び建物を併せて「本件不動産」という。)につき差押処分(以下「本件差押」という。)を受け、昭和六一年一〇月二八日付けで右差押不動産を公売に付する旨の予告通知を受けた。(当事者間に争いがない。)

3  原告は、平成元年二月三日、右差押に係る申告所得税及び加算税に延滞税を付加した合計三二三万五四〇〇円全額を大阪国税局に納付した。(当事者間に争いがない。)

二  争点

本件の争点は、本件申告に係る税額が確定しているかどうかの前提として、本件申告書が原告の意思に基づいて提出されたかどうかである。

第三争点に対する判断

一  証拠によれば、本件申告当時の原告の生活状況及び本件申告以降の原告の対応等について、次の各事実が認められる。

1  原告は、昭和五三年ころから神戸市須磨区衣掛町において喫茶スナック「チャウチャウ」を経営していたが、金融ブローカーをしていた福田聡(以下「福田」という。)と親しく交際するようになり、福田とともに、金融ブローカーの仕事や(原告は、昭和三〇年ころ、金融業の届け出をしていた。)金銭の貸借などをするようになり、多額の債務を負っていて、昭和五五年四月以降、南春生からも強引な借入を繰り返していた。(乙第四ないし第二一号証、証人福田聡の証言)

2  原告は、昭和五五年六月六日、神戸市須磨区須佐野通一丁目一番一九号から同市北区鈴蘭台南町八丁目一六番二号に住民登録を移した。(第台二四号証の一)

3  原告は、昭和五五年六月一二日ころ、大和信用組合長田支店との当座預金取引を開始し、南春生に借入金の返済として小切手を振り出したりしたが、短期間で解約し、右小切手は結局支払われなかった。(乙第一〇号証の一、二、第二九号証、原告本人尋問(第一、第二回)の結果)

4  原告は、昭和五五年七月一四日、再び神戸市兵庫区須佐野通一丁目一番一九号に住民登録を移し、同年九月三日、さらに神戸市須磨区関守町三丁目八九番五号に住民登録を移した。(乙第二四号証の一、二、第二七号証)

5  神戸地方裁判所は、昭和五五年一一月四日、共栄火災海上保険相互会社の申立てにより、神戸市須磨区関守町三丁目五四番三所在の土地建物(前記原告方)につき、競売開始決定をした。(乙第三六、第三七号証)

6  原告は、昭和五六年一月九日、兵庫県小野市樫山町一四八一番地の九六に住民登録を移し、同月一二日、さらに神戸市須磨区東落合二丁目一九番三〇四-三〇八に住民登録を移した。(乙第二四号証の二、第二七号証)

7  須磨税務署の職員高橋浩は、昭和五六年一月二二日、本件申告に係る納税に関して原告の所在を確認するため、前記関守町の原告方で原告と面接したところ、原告は、納税について相談している人がいるのであとで電話をしてほしいと述べただけで、本件申告書を提出したことがないという申立てはしなかった。(乙第三〇号証)

8  須磨税務署長は、昭和五六年一月二三日、本件申告に係る督促状を関守町の原告方宛てに発付し、同年二月五日ころ、前記競売開始決定に係る交付要求を行なうとともに、交付要求通知書を右原告方宛てに発付した。(乙第二、第三号証、第三四号証)

9  須磨税務署長は、昭和五六年三月六日、滞納処分により、神戸市須磨区関守町三丁目四番三所在の土地建物のうち原告の持分を差し押さえ、関守町の原告方宛て差押通知書を発付した。(乙第二二号証、第三六、第三七号証)

10  須磨税務署の職員松中幹治は、昭和五六年三月一八日、関守町の原告宅において、本件申告に係る納税に関して原告と面接したが、その際、原告は、差し押さえられたことは知っているが、現在無職で収入がないため、同月二二日に赴くのでそれまで猶予して欲しい旨述べただけで、本件申告書を提出したことがない旨の申立てはしなかった。

原告が約束の日に須磨税務署に訪れなかったので、右松中が同月二四日原告方に電話をかけたところ、原告は、納税等について相談している福田が東京に出張しているので赴くことができなかったが、福田が二、三日中に戻るので同月二八日までに福田とともに赴く旨申し出たが、その際も、本件申告書を提出したことはない旨の申立てはしなかった。(乙第三一号証、原告本人尋問の結果(第二回))

11  原告は、昭和五六年四月一日、神戸市兵庫区須佐野通一丁目一番一九号に住民登録を移した。(乙第二四号証の二)

12  福田は、昭和五六年五月二八日、前記競売開始決定に係る神戸市須磨区開守町三丁目五四番三所在の土地建物を右競売により買い受けたが、同手続において須磨税務署に対する売却代金の配当はなかった。(乙第二二号証、第三五ないし第三七号証)

13  原告は、昭和五七年七月五日、神戸市須磨区関守町三丁目八番五号に住民登録を移した。(乙第二四号証の二、第二六号証)

14  原告は、昭和五九年七月七日、山川南と協議離婚した。(乙第二五号証)

15  原告は、昭和五九年一〇月一七日、日本信販ホームローンにより、福田ほか一名を連帯保証人として、原告名義で二六〇〇万円の融資を受け、本件不動産を購入し、その旨の登記をした。(乙第四〇、第四一号証、第四三号証、証人福田聡の証言)

16  原告は、昭和六〇年四月四日、神戸市垂水区千鳥が丘一丁目一番三四号(本件不動産の住居表示)に住民登録を移した。(乙第二六号証)

17  須磨税務署長は、昭和六〇年一一月一八日、本件差押に関する差押書を原告方宛てに送達した。(乙第三八号証、第四〇、第四一号証)

18  原告は、昭和六〇年一一月二六日及び六一年一月九日、須磨税務署に赴き、本件申告をしたことはなく、筆跡も違い、誰かが嫌がらせにしたものと思う、本件不動産の実際の所有者は知らないなどと申し述べた。(乙第四五号証、原告本人尋問(第二回)の結果)

19  原告は、昭和六一年二月三日、本件不動産について、信託を原因として、妹の平野平世に所有権移転登記手続をした。(乙第四〇、第四一号証)

20  原告は、昭和六一年二月一七日、須磨税務署長に対し、本件申告の心当たりがなく、筆跡、生年月日も誤りであるから、所得税の課税を取り消してくれるようにという趣旨の嘆願書を提出した。(甲第一号証)

21  須磨税務署長は、昭和六一年一〇月二八日、原告に対し、前記差押に係る公売予告通知書を発送した。(乙第三九号証)

22  原告は、昭和六一年一〇月二九日、須磨税務署の職員藤井一憲(以下「藤井」という。)に電話をかけ、本件確定申告は原告がしたのではなく、差し押さえられた本件不動産は原告が所有しているものではないなどと申し立てた。

原告は、昭和六一年一一月四日、須磨税務署に赴いて右藤井と面接し、同人に対し、右電話での申立と同様の申立てをし、さらに、昭和六一年一二月一七日、福田とともに、須磨税務署に赴いて藤井と面接した。その際、福田は、本件申告書は、原告の了解を得て提出したものである。収入として計算した所得については現在裁判で争っており敗訴したら税額は減少する。本件不動産は福田の所有であるなどと申し立てた。(以上、証人藤井一憲の証言)

23  原告は、昭和六三年一〇月二四日、須磨税務署長に対して、公売予告通知を受け取ったが、従来から説明しているように本件申告は原告がしたものではなく、筆跡、生年月日も異なるから再検討して欲しいという趣旨の書面を提出した。(甲第二号証)

二  証人福田聡は、これらの点について、さらに、次のような趣旨の証言をしている。

昭和五五年当時、原告と福田は、金に困っており借金もあったところ、神戸市北区鈴蘭台に、他人の土地を通らなければ公道に出られないため格安である土地及び建物(以下「鈴蘭台の不動産」という。)があることを聞き、庭付きで当時犬を飼っていた原告が住むのに好都合であったので、この物件を実際よりも高く見せ掛けて銀行から物件の価額以上の融資を受けようと企て、原告の名義で購入することにしたが、既にその物件の頭金を支払って住んでいることにした方が銀行の融資が受けやすいので、それを装うために、原告と相談のうえ原告の住民登録を鈴蘭台の不動産の所在地に移転した。そして、三井銀行に融資の申込をしたところ、原告の所得証明が必要であるといわれ、税務署の受付印のある確定申告書控えを所得証明として使うことにし、福田は、当時福田と付き合いのあった公認会計士の許に原告を行かせて、申告していなかった前年、前々年の申告書を急遽作成させ、原告と一緒に兵庫税務署に行って申告書を提出した。右申告書中、原告の生年月日、世帯主、続柄の欄に記載がなかったので、福田が税務署でそれぞれ「S.19.2.22」「山川南」「妻」と記載し、それ以外の部分は福田が見た時既に記載されていて、原告の氏名ははっきりしないものの原告の筆跡だと思うし、住所は原告の筆跡で、山川の印鑑は当時原告が使用していたものである。原告は、兵庫税務署の受付印のある本件申告書控えその他融資申込みに必要な書類を原告が銀行に提出したが、結局融資を受けることはできず、鈴蘭台の不動産を購入するに至らなかった。

三  そこで、この証言について検討すると、前記認定事実によれば、原告は、本件申告のころ、当時親しく交際していた福田とともに多額の債務を負担し、同人と一緒に強引な金策を繰り返していたところ、原告の住民登録を一旦鈴蘭台に移し一か月ほど元に戻すという不自然なことをしており、この住民登録を移した事情について、福田が不動産の購入を勧めて買う時に買いやすいから住所を移した方がよいといわれて住民登録を移し、小野市に住民登録を移したときも同様である旨供述(第二回原告本人尋問)していることからすると、金に困っていた原告と福田が原告の名義で鈴蘭台の不動産を購入して銀行から過剰な融資を受けようと種々画策していたという趣旨の証人福田聡の証言は十分信用することができる。

また、以上の点に加え、原告が鈴蘭台に住民登録を移したのは本件申告の約一週間前であり、本件申告書は法定納期限後に二年分まとめて提出されるという不自然な態様で提出されたものであるところ、銀行から融資を受ける際に税務署の受付印のある確定申告書控えを所得証明として用いることが少なくなく、原告は融資を受けるため住民登録を写すことまでしながら、同じく融資を受けるために必要な所得証明書を得るための原告の確定申告についてだけ福田が独断でする必要性がないことからすれは、原告と福田が銀行から融資を受けるための一連の行為のひとつとして原告の所得を証明するために本件申告書を提出したという趣旨の証人福田の証言も十分信用することができる。

原告はこれらの点を否定する趣旨の供述を繰り返すものの、その内容は全体的に曖昧であり住民登録を移すことについての認識があるかどうか、昭和五三年以前の分について確定申告をしたことがあるかどうかというような重要な事項について供述が変遷し、また、原告は、昭和六〇年一〇月一八日の本件差押後は須磨税務署長宛に嘆願書を提出するなどして本件申告が原告の意思に基づくものであることを否定しているものの、それ以前は須磨税務署の職員と面接したり電話で話をした際にも本件申告をしたことがないことなど納税義務の存在について特に異議を申し立てず、かえって納税の猶予を申し出るなど納税義務があることを前提としていると思われる態度をとったこともあるのに対し、他方、証人福田聡は前記のとおり、自己に不利になるような事実についても、詳細かつ客観的に事実に符合する証言をしていることからすると、本件申告書は、原告の意思に基づいて提出されたものと認めることができる。

四  原告は、本件申告当時原告の喫茶店の営業は所得が少なく申告する必要がないと思っていたし、本件申告書は原告の自筆でなく、内容的にも原告の生年月日は昭和九年二月二二日であるのに本件申告書には原告の生年月日が昭和一九年二月二二日と記載され、原告の本件申告当時の住民登録上の住所は神戸市北区鈴蘭台南町八丁目一六番二号、現実の住所は同市須磨区関守町三丁目八番五号、原告が経営する喫茶スナック「チャウチャウ」の所在地は同市須磨区衣掛町五丁目一番三号であるのに本件申告書には原告がかつて居住していた同市兵庫区須佐野通一丁目一番一九号と記載されていることなどからして、本件申告書は何者かが偽造したものであると主張し、それに副う供述をしている。

しかし、本件申告に至る前記事情の下においては、所得証明のために税務署の受付印のある確定申告書控えを取得して収入があったかのように装うのが目的だったのであり、実際に収入があったかどうかは問題ではなく、たとえ実際には原告の収入がなかったとしても本件申告が原告の意思に基づくものであるという前記認定に影響を与えるものではない。

本件申告書に記載された文字の筆跡についても、証人福田聡は、福田公認会計士の許に原告を行かせて、前年、前々年の申告書を急遽作成させ、記載がなかった原告の生年月日、世帯主、続柄の欄に福田がそれぞれ「S.19.2.22」「山川南」「妻」と記載し、既に記載されていた内容について、原告の氏名ははっきりしないものの原告の筆跡だと思うし、住所は原告の筆跡で、山川の印鑑は当時原告が使用していたものである旨供述しており、この認定を妨げるに足りる証拠もなく、前記事情のものにおいては、原告が本件申告を含む一連の行為に関与していたのであり、誰が現実に申告書に記載したかはそれほど重要ということはできないのであるから、仮に本件申告書に現実に記載したのが原告でなかったとしても、本件申告が原告の意思に基づいていたという前記認定に影響を与えるものではない。

生年月日の点については、本件申告書の記載は生まれた年についての実際と異なっているものの、原告は、連帯保証人として執行証書を作成する際に自己の生まれた年を昭和一九年と記載しており(乙第七号証)、また、一旦昭和一九年と記載したうえで一九を抹消して九と書き加えた住民票が存在する(乙第二七号証)ことから、原告は普段から昭和一九年を自分の生まれた年として使用していたと推認することができ、本件申告書の原告の生年月日欄に昭和一九年と記載されていても特に不自然なわけではなく、一般に人の生年月日はそれほど広い範囲に知られているわけではないところ、本件申告書に記載された生年月日のうち月日が正確であることからすると、本件申告書の生年月日を記載したのは原告自身又は原告と相当親しい者のいずれかであると推認することができるのであるから、本件申告書の原告の生年月日の記載に前述のように誤りがあったことも、本件申告が原告の意思に基づいていたという前記認定を妨げるに足りるものではない。

住所の点についても、本件申告書には、住民登録上の住所でも現実の住所でも原告が経営する喫茶店の所在地でもない神戸市兵庫区須佐野通一丁目一番一九号と記載されている。しかし、右住所は、昭和三八年に住民登録を移して以来原告が鈴蘭台に住民登録を移した昭和五五年六月六日まで住民登録をしていたところであり(乙第二四号証の一)、右鈴蘭台の住所は単に銀行から融資を受けるための便宜のために移転したものでまたすぐに元に戻しているような前記事情の下においては、原告の認識としては前記須佐野通の住所こそが真の住民登録上の住所であったものと推認することができるから、原告が本件申告に際してこのような記載をしたとしても不自然ではなく、本件申告が原告の意思に基づいていたとの前記認定を妨げるに足りるものではなく、他に本件申告が原告の意思に基づくという認定を妨げるに足りる証拠はない。

なお、原告は、本件のように申告書の偽造が問題とされている場合には、本件申告書が原告の意思に基づいて提出されたことについて被告が主張、立証責任を負うと主張するが、本件においては、本件申告書が原告の意思に基づいて提出されたと認定しているのであるから、立証責任を問題にする必要はない。

五  以上のとおり、本件申告は原告の意思に基づいてされたものであることが認められるから、これに対する更正処分があったかどうかについて主張立証がない以上、本件納付の根拠となった本件申告が有効に存在し、本件差押に係る税額は確定しているのであり、本件納付は誤納金に該当せず、原告の請求は理由がない。

第四結論

以上のとおり、原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担について民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 辻忠雄 裁判官 吉野孝義 裁判官 北川和郎)

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